探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-つ-


津井手郁輝(ついで・いくてる)

1937年(昭12)、東京生まれ。中央大学商学部卒。
1976年(昭51)、「幻影城」第一回新人賞評論部門に「探偵小説と笑い-私的探偵小説論-」が佳作入選。

幻影城掲載誌:14/20/24/40/42/43/44/48/50/53/別冊幻影城掲載誌:5/6/7/8/9/13/16/41/幻影城ノベルス/幻影城評論研究叢書/


筑波孔一郎(つくば・こういちろう)

本名鴨川浩幸。1939年(昭14)、東京葛飾生まれ。日本大学法学部卒。別名筑波耕一郎。
1976年(昭51)、「幻影城」第一回新人賞小説部門に応募した「密室のレクイエム」は入選を逃したものの、改稿され、「幻影城」に掲載。

幻影城掲載誌:16/17/18/19/21/23/25/24/26/27/28/29/30/31/33/35/40/43/44/
47/50/別冊幻影城掲載誌:6/9/12/幻影城ノベルス/ブラックホール/


辻蟻郎(つじ・じろう)

1927年(昭2)、東京生まれ。
1977年(昭52)、「幻影城」第二回新人賞小説部門に「拒まれた死」が佳作入選。

幻影城掲載誌:27/


辻真先(つじ・まさき)

1932年(昭7)、名古屋市生まれ。名古屋大学文学部卒。父は元代議士の辻寛一。NHK時代には胡桃沢耕史が先輩。
1962年(昭37)、NHKを退社後、「エイトマン」「サザエさん」などアニメーションの脚本を手がける。
1963年(昭38)、桂真佐喜名義で「宝石」に「生意気な鏡の物語」を掲載。
1963年(昭38)、桂真佐喜名義の「仲の良い兄弟」が第5回宝石賞次席となる。
1975年(昭50)、桂真佐喜名義の「たかが殺人じゃないか」第21回江戸川乱歩賞候補作となった。
1972年(昭47)、「仮題・中学殺人事件」を刊行。
1979年(昭54)に「小説推理」に発表した「村でいちばんの首吊りの木」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1981年(昭56)に刊行した「アリスの国の殺人」で、1982年(昭57)、第35回日本推理作家協会賞長編賞を受賞。
1982年(昭57)に「小説新潮」に発表した「上役を静かにさせる法」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1997年(平9)、には日本推理作家協会設立50周年を迎え、記念事業として企画された文士劇「ぼくらの愛した二十面相」の脚本を執筆。
2004年(平16)、第39回長谷川伸賞受賞。


土屋隆夫(つちや・たかお)

1917年(大6)、長野県生まれ。中央大学法学部卒。
当初は劇作家を目指しており、戦前、松竹歌舞伎研究会の新歌舞伎脚本募集で二席入選したことがある。
1949年(昭24)、「「罪ふかき死」の構図」が「宝石」百万円懸賞コンクールC級に一等入選し「別冊宝石」に掲載。
1952年(昭27)、「青い帽子の物語」を「別冊宝石」に発表し、新人コンクール第三席入選。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1953年版」に収録される。
1957年(昭32)、NHKのテレビ番組「私だけが知っている」の脚本を山村正夫鮎川哲也笹沢左保夏樹静子藤村正太とともに執筆。
1958年(昭33)に刊行した「天狗の面」は、「お天狗様の歌」として第3回江戸川乱歩賞候補作となっていた。
1959年(昭34)、「天国は遠すぎる」を刊行。
1961年(昭36)に刊行した「危険な童話」が、1962年(昭37)、第15回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。「危険な童話」は「ヒッチコック・マガジン」の1961年ベストで4位に選ばれている。
1962年(昭37)に「宝石」に発表した「影の告発」により、第16回日本推理作家協会賞を受賞。
1962年(昭37)に「オール読物」に発表した「情事の背景」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1964年(昭39)に「推理ストーリー」に発表した「ねじれた部屋」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「オール読物」に発表した「穴の眠り」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1970年(昭45)、「針の誘い」を「推理」に発表。
1970年(昭45)に「小説現代」に発表した「淫らな証人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1972年(昭47)に「小説サンデー毎日」に発表した「泥の文学碑」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)に「別冊小説現代」に発表した「午前十時の女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1974年(昭49)に「小説サンデー毎日」に発表した「気まぐれな死体」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1975年版」に収録される。
1980年(昭55)に刊行した「盲目の鴉」が「週刊文春」の80年「傑作ミステリーベスト10」の2位に選ばれる。
1989年(平1)、「不安な産声」が「週刊文春」の89年「傑作ミステリーベスト10」の1位に選ばれる。
2001年(平13)、第5回日本ミステリー文学大賞受賞。
文学と推理の融合を成し遂げている。

幻影城掲載誌:7/10/31/33/50/別冊幻影城掲載誌:4/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


都筑道夫(つづき・みちお)

本名松岡巌。1929年(昭4)、東京生まれ。兄は落語家の鶯春亭梅橋。他殺クラブ会員。SFグループ「おめがクラブ」会員。別名小林昌夫、鶴川匡介、伊東映昌、結城勉、ジェフ・エバンス、フィリス・マクワゴン、リチャード・フィネガンなど。
1947年(昭22)、雑誌「スバル」の編集に従事。
1949年(昭24)から淡路龍太郎などの名で「魔海風雲録」(1954年(昭29))などの時代小説を発表。大坪砂男に師事する。大坪砂男が新宿花園街の三畳間から引っ越したあとは、同じ建物に移る。
1956年(昭31)、早川書房に入社し、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の編集に従事し、翻訳や「女を逃がすな」(1958年(昭33))を発表。
1957年(昭32)、渡辺啓助矢野徹とともにSF同人誌「科学雑誌」を発行。発行団体は「おめがクラブ」。
1962年(昭37)に刊行した「誘拐作戦」が、1963年(昭38)に第16回日本推理作家協会賞の候補となる。同時に「ヒッチコック・マガジン」の1962年ベストで3位に選ばれている。
1963年(昭38)、「三重露出」を刊行。
1968年(昭43)、「なめくじ長屋捕物さわぎ」シリーズを「推理界」で開始。
1969年(昭44)に「推理」に発表した「死体と寝たい」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1969年(昭44)に「サンデー毎日読物専科」に発表した「羅生門河岸」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和45年度」に収録される。
1969年(昭44)に刊行した「ちみどろ砂絵」が1970年(昭45)に第23回日本推理作家協会賞の候補となる。
1970年(昭45)に刊行した「くらやみ砂絵」が1971年(昭46)、第24回日本推理作家協会賞の候補となる。
1970年(昭45)に「推理界」に発表した「小梅富士」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1972年(昭47)に刊行した「七十五羽の鳥」が、1973年(昭48)に第26回日本推理作家協会賞の候補となる。
1972年(昭47)に「増刊推理」に発表した「九段の母」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)に「問題小説」に発表した「退職刑事」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1974年(昭49)に「別冊小説宝石盛夏号」に発表した「蝋いろの顔」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1975年版」に収録される。
1974年(昭49)に「小説推理」に発表した「キリオン・スレイの復活と死」(情事公開同盟)が1975年(昭50)に第28回日本推理作家協会賞の候補となる。
1975年(昭50)に「小説クラブ」に発表した「退職刑事」(壜のなかの密室)が1976年(昭51)に第29回日本推理作家協会賞短編賞の候補となる。また、1976年(昭51)、「黄色い部屋はいかに改装されたか?」が第29回日本推理作家協会賞評論賞の候補となる。
1976年(昭51)に「小説新潮」に発表した「みぞれ河岸」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1977年(昭52)に「小説新潮」に発表した「日光写真」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1978年(昭53)に「野性時代」に発表した「風に揺れるぶらんこ」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1979年(昭54)に「小説現代」に発表した「「殺人事件」盗難事件」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1980年(昭55)に「小説推理」に発表した「首くくりの木」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1982年(昭57)に「問題小説」に発表した「マジック・ボックス」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1982年(昭57)に「小説新潮」に発表した「仮面のシルビア」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1983」に収録される。
1983年(昭58)に発表した「キリオン・スレイの敗北と逆襲」が1984年(昭59)、第37回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。
1986年(昭61)に「EQ」に発表した「いの一番大吉」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1987年版」に収録される。
1989年(平1)に「オール讀物」に発表した「西郷星」が1990年(平2)に第43回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1990年版」に収録される。
1991年(平3)に「小説新潮」に発表した「うそつき」は日本文藝家協会の「現代の小説 1992」に収録される。
2000年(平12)に発表した「推理作家の出来るまで」が2001年(平13)、第54回日本推理作家協会賞評論その他部門を受賞。
2002年(平14)、第6回日本ミステリー文学大賞受賞。
2003年(平15)、動脈硬化による心臓麻痺のため死去。

幻影城掲載誌:4/5/15/21/26/27/38/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


角田喜久雄(つのだ・きくお)

1906年(明39)、横須賀生まれ。左右田謙は遠縁にあたる。
1921年(大10)、「現代」のスポーツ小説募集で二等入選したが、掲載されず。
1922年(大11)、「毛皮の外套を着た男」が「新趣味」の懸賞に二等当選。16歳だった。
1922年(大11)、「隠された夜光珠」「復讐」が「新青年」の懸賞の最終候補となる。このとき一等になったのは水谷準
1925年(大14)、奥田野月名義で、「罠の罠」を「キング」に懸賞入選作として掲載。本来は「新青年」の懸賞に応募した作品だったが、規定枚数を超過していたため、縮小を命じられたが、応ぜず「キング」にまわったものだった。
1926年(大15)、「あかはぎの拇指紋」が「新青年」の懸賞に入選し、探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1926年(大15)、「発狂」が第一回サンデー毎日大衆文芸甲類に入選。
1927年(昭2)に「新青年」に発表した大下宇陀児水谷準妹尾韻夫山本禾太郎延原謙とともに連作を行なった「楠田匡介の悪党振り」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1928年(昭3)に「サンデー毎日」に発表した「ひなげし」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。
1929年(昭4)、「週刊朝日」の懸賞に入選した「倭絵銀山図」(のちに白銀秘帖に改題)を「週刊朝日」に発表。
1935年(昭10)、「日の出」に「妖棋伝」を掲載。これは急死した牧逸馬の後釜として抜擢されたものである。この作品は1936年(昭11)に第4回直木賞の候補となる。この時に受賞したのは木々高太郎だった。
戦時中は海軍の報道班員を務める。
1947年(昭22)、九鬼紫郎編集の「小説」創刊号に「銃後に笑う男」(「蜘蛛を飼う男」への改題を経て「高木家の惨劇」と改題)を発表。これは本来は発表のあてがなく執筆されたもの。1948年(昭23)、第1回探偵作家クラブ賞長編賞候補となり、戦後の本格探偵小説隆盛を導いた。さらに、「怪奇を抱く壁」(1946年(昭21)「句刊ニュース」)、「霊魂の足」(1948年(昭23)「宝石」)、「緑亭の首吊男」(1946年(昭21)「ロック」)も探偵作家クラブ賞短編賞の候補となる。「怪奇を抱く壁」は探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1947年(昭22)、海野十三との共同筆名である青鷺幽鬼名義で「能面殺人事件」を「ぷろふいる」に発表。
1948年(昭23)に「宝石」に発表した「猫」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。同時に1949年(昭24)に第2回探偵作家クラブ賞短編賞候補作となる。
1953年(昭28)に「宝石」に発表した江戸川乱歩大下宇陀児、木々高太郎との連作「畸形の天女」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1954年(昭29)、日本探偵作家クラブ副会長に就任。
1954年(昭29)に「別冊宝石」に発表した「沼垂の女」が1955年(昭30)、第8回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)に「オール読物」に発表した「二月の悲劇」が1956年(昭31)、第9回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「悪魔のような女」が1957年(昭32)、第10回探偵作家クラブ賞候補作となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)、「オール読物」に「笛吹けば人が死ぬ」を発表し、1958年(昭33)、第11回日本探偵作家クラブ賞を受賞。このとき、賞金の増額のため、寄付をおこない、角田基金と称された。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)、角田喜久雄を中心に、大河内常平楠田匡介中島河太郎千代有三日影丈吉山田風太郎山村正夫らで親睦会「例の会」を結成。
1958年(昭33)に「オール読物」に発表した「崖上の家」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)に「オール読物」に発表した「冷たい唇」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1960年(昭35)に「オール読物」に発表した「奇妙なアルバイト」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に「オール読物」に発表した「翳のある歯」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「オール読物」に発表した「青い雌芯」は日本推理作家協会日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「宝石」に発表した「年輪」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1965年(昭40)、「東京タイムス」に時代本格探偵小説「影丸極道帖」を発表。
1994年(平6)、急性肺炎のため死去。

幻影城掲載誌:7/12/14/19/24/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/別冊幻影城未刊行リスト/


椿八郎(つばき・はちろう)

本名藤森章。1900年(明33)、長野県松本生まれ。慶応大学医学部卒。日本探偵作家クラブの会員章であるポーの指輪は椿八郎が提唱者。
在学中、本名にて正木不如丘主宰の「脈」に小品を発表。
1949年(昭24)、「カメレオン黄金虫」を「宝石」に発表。
1951年(昭26)に「宝石」に発表した「扉」が、1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1963年(昭38)、木々高太郎を中心とし、白石潔鷲尾三郎氷川瓏らとともに同人誌「詩と小説と評論」を創刊。
1978年(昭53)、日本医科芸術クラブ大賞受賞。
1985年(昭60)、心不全のため死去。

幻影城掲載誌:7/別冊幻影城掲載誌:2/


津端英二(つばた・えいじ)

1937年(昭12)、青森生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。
1978年(昭53)、「幻影城」第四回新人賞小説部門に「鶏の子」が佳作入選。

幻影城掲載誌:49/52/


津村秀介(つむら・しゅうすけ)

本名飯倉良。1933年(昭8)、横浜生まれ。医学関係の出版社で中町信と同僚だった。
1951年(昭26)、本名で「文芸首都」に純文学を発表。
1959年(昭34)、本名でアンソロジー「ポケット・ミステリィ」に短編を発表。
また、浦上伸介名義で「推理」にルポ「クライムレポート」を発表。
1961年(昭36)、津村秀介名義で「週刊新潮」に「黒い報告書」など事件小説を連載。
1971年(昭46)の江戸川乱歩賞応募作「偽りの時間」を改稿して、1972年(昭47)に刊行。
1983年(昭58)、「黒い流域」を刊行。
2000年(平12)、マロリーワイス症候群にて死去。


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